Monthly Archives: March 2012

Human Chain 3.11. 2012

2012年、3.11 から2週間経ってしまった。 その日は前回、前半を英文で書いた通り、日比谷周辺の追悼デモと国会ヒューマン・チェーンの取材に行ってきた。 3月11日という日はそれぞれの人に、それぞれの思いを抱かざる得ない特別な日に1年前からなってしまった。 今回は後半のヒューマン・チェーンについて遅くなってしまったけど、思い出して書いてみようと思う。 日比谷から国会へ到着したのは17時くらいだった。 国会周辺では警察官が既に歩道の通行規制をして、その理由を通行者に丁寧に説明してそれぞれの行き先の確認など行なっていた。 ‘これから国会周辺でヒューマン・チェーンがありますのでご協力お願いします’、と参加者の誘導も行なっていた。見ようによっては警官主催の出来事のようにも見え、今までそのような事を経験したことのない警官が参加者の整理をしてる図はある意味滑稽さ、さえ感じてしまった。 ちょっと意地の悪い意思が働いているように見えたがヒューマン・チェーンの許可は国会から4車線挟んだ対岸で許可が降りていた。 国会正面にはすでに国内外の多数のメディア、ジャーナリストの田中龍作氏、IWJスタッフの姿も見かけ、事を今かと待ち構えていた。 現場ではデモのような一発触発の緊張感というより、3.11で犠牲になった人たちへの追悼、政府の対応への怒りなどが混ざり、ある種の連帯感がそこには生まれていた。一国民でもある警察隊もいろいろな思いを持ってこの日の職務に着いているようにも見えた。 参加者も様々だけど若者が多く、この日だけは何かしらの行動をしなくてはと掻き立てられたような一般の人たちが大多数だった。 60年代には安保に対する学生運動では連日、国会は包囲されていたと聞くからたぶんそれ以来の出来事ではないだろうか。 辺も薄暗くなって来た頃、人々の手に持つロウソクにあちらこちらで日が灯る。 火を見つめ思いに浸る人、国会を見据える人。 自分の中でも国会という場所がこんなに近かったのかと新鮮な思いと、この日は都内のどの場所よりそこにいることが心の落ち着きがあったのではないだろうか。 そして日本でもこういったことが起こる大惨事が起こったのだなと改めて実感を持つ。 そこには当然ながら自分たちが選んだ議員を送りこみ、自分たちの生活に密接に関わることを決めさせているわけだから。国民に一番近く、開かれた場所でなくてはならないわけだが、 平日などではなんとも近寄り難い雰囲気をかもし出している。 地方で生活している人にとっては、より遠く関係ない場所になっているのではないだろうか。 その日は以外にも近くの講堂くらいに見えるくらい、拍子抜けするくらい小さくなんてことのない建物に見えて。 ヒューマン・チェーンは日が完全に落ちてから2回ほど作られた。場所によっては信号機などで分断されたり、遠巻きに配置されても後で聞いたが、約1万人以上の人で完全に国会をヒューマンチェーンの包囲を実現させたそうだ。 その日は日曜で、国会の中には人影も見られずひっそりとしていたけど、市民のこの1年溜め込まれた思いからの行動が、この国を本当に動かしてる人間たちに何らかのプレッシャーになったことを望むし、いろんな意味で急がれる変化が少しづつでも起こることを望む。 Advertisements

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3.11, 2012

We had the first anniversary of 3.11 on the last Sunday. I thought that the day would be the most memorial day in now days in Japan. I saw half-masts with black ribbon displayed at many places in Tokyo. I … Continue reading

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3.10

今日は3.10、1945年3月10日の東京大空襲から67年目を迎えることになった。 今年は昨年の戦後最大の大災害から1年を向かえ3.10の意味合いもまた変わって来てるんではないだろうか。 東京大空襲について意識し始めたのはやはり、浅草のGallery efとの出会い、その展示準備で浅草橋付近の神田川でスケッチしているときの出会った年配の女性の話しなど、年を重ねまた3.11を経験してさらに3.10は忘れてはならない日という意識が強くなっていくようだ。 1945年、3月10日の深夜0時7分から数時間の爆撃で東京下町で10万人以上が亡くなった。 しかし自分が生まれた1970年にはその跡は人の目の当たらない場所に埋もれ、高度成長期には被災した多くの人たちの思いも心に押しとどめて置かなくては行けない空気があったんではないかと思う。 それは今も同じで、3.11の大惨事、今も続く原発事故に対して日に日に語ることが疎ましいような空気に、特に東京などではなって来ている様に感じる。 今日は両国の慰霊堂に足を運んでみた。着いたのが16時前だったので人も疎らだったが、近所の人だろうか家族ずれ、祖母と孫といったような人々が目についた。 寺院の中で焼香を終え涙を流している高齢者の女性の姿、高齢者が中心だけど着座して読経に耳を傾ける人それぞれに壮絶な体験があるに違いない。その一つ一つを聴いてみたい衝動に駆られた。 日が変わり3.11。 あれから1年。 3.11では昨年から2万人近い犠牲者。34万5千人に昇る避難者のためにも新たな一年にしなくては。  

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Answer

Already 4th March. I cycled to Asakusa to visit Gallery ef and the graduate exhibition of Esperanza shoe institute yesterday. I have seen a bloom of plum tree near by Skytree. I feel the spring is just around the corner. … Continue reading

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